父を語る その2

「四季折々の情景を人の一生と重ね合わせる」

四季の表情が豊かな日本では、

多くの方々が体現されている事でしょう。

 

昨年の12月初旬、

木漏れ日が心地良い昼下がりに、

自宅近くの目黒不動尊へ散策しました。

家内が仕事で不在の為、

ベビー・カーに乗る娘と

父娘水売らずのひとときとなりました。

秋に色づいていたであろう枯葉が

かすかな北風に乗り、

地を撫でるように舞い踊っている中、

心の中で

天上の父と会話を交わしていました。

晩年の父は

剣道に心身の全てを賭していました。

肺癌に侵されてから

最後の時を迎えるまで、

その生き方も、考え方も、人への接し方も、

何もかも何一つ変えることなく、

自身を全うしたかのように思われます。

それは

己と対峙する剣道の在り方に、

「死」を目前にしてなお、

己の生き様を重ね合わせていたのでしょうか。

そんな想いを父に尋ねてみましたが、

無論、返ってくる答えは

はにかんだ笑い声だけでした。

ふと視線を下ろせば、

そこには

にこやかにボクを見上げる愛娘がいました。

きっと数十年後の冬、

ボクが天に召されてから初めての師走に、

 娘も天上のボクと

心の会話を満喫することでしょう。

 

東日本大震災の折に想いました。

人間が生まれた順序通りに

天へ召されることは、

如何に多くの人々へ

安息を与えてくれるものかと。

 

娘が生まれ、父が昇天する。

命のリレーが紡ぐ情景は、

四季の物語となります。

生まれた順序通りに

輪廻される命のリレーとは、

実に人生を豊かに彩ってくれるものです。

 

また近いうちに、

父娘での散策に赴くこととします。